冨岡剛(富岡剛)氏のプロフィール

冨岡剛(富岡剛)氏は東京都に長男として生まれた。中学生からラグビーを始めると、すぐに上達し、大学卒業後の1991年には社会人ラグビーチー・神戸製鋼コベルコ・スティーラーズに入団が決まる。

冨岡剛(富岡剛)氏は1998年まで神戸製鋼コベルコ・スティーラーズの選手として活躍し、現役を引退してからは、青山学院大学ラグビー部監督を経て、現在は一般社団法人世界デトックス協会代表理事として積極的に活動している。

冨岡剛(富岡剛)氏が所属していた神戸製鋼コベルコ・スティーラーズは、黄金時代でラグビー社会人大会で7連覇を遂げたが、昔は名門チームではなかった。チームは1985年に新日鉄釜石の8連覇を阻止するが決勝で負けるなど、「万年八強止まり」と言われるチームだった。

そこで冨岡剛(富岡剛)氏の恩師でもある平尾誠二氏がチームの大改革を行い、当時社会人ラグビーで主流だった「テンマンラグビー」を改め、「オープンラグビー」への切り替えを実行していった。最初こそ上手くいかなかったが、改革は成功し、チームは3連覇を達成した。この連覇は冨岡剛(富岡剛)氏が加入したことにより7連覇まで達成する黄金時代を築いた。


神戸製鋼コベルコ・スティーラーズ

神戸製鋼コベルコ・スティーラーズは創立当初、従業員の一体感の醸成・士気を高めることなどを目的として活動し強化に努めてきました。ところが、1980年代に入り、全国社会人大会へ出場するようになり躍進を遂げる名門チームへと成長しました。

名門チームになったことにより、知名度アップやブランドイメージ向上に貢献するようになりました。V7以降は、社会貢献活動にも力を入れ、地域社会に密着したチームを目指しています。